January 09, 2008

ドーソン落選。ゴセージが殿堂入り

今年の殿堂入りが発表された。

リッチ・ゴセージが
85.8%の得票を得て殿堂入り。

ゴセージの殿堂入りにケチをつけるつもりではないのだが、
個人的にはカブスで活躍した
アンドレ・ドーソンを応援していた。
彼も選ばれてほしかった。
得票率65.9%と、75に届かず落選。
残念。また来年。

ドーソンは殿堂入りにふさわしいと思うんだがなあ。
新人王、MVP、本塁打王、打点王、オールスター8度、
ゴールドグラブ8度、シルバースラッガー4度・・・。
走攻守はおろか人格含めてすべてが素晴らしい選手だった。
90年に、通算「2000本安打&300本塁打&300盗塁」
を達成したが、当時これを達成していたのは
他にウィリー・メイズしかいなかったはずだ。
膝を12回も手術してこの成績。もし健康だったら…

ライン・サンドバーグは05年の殿堂入りのスピーチで
ドーソンについて語っている。

Andre Dawson the "Hawk."
No player in baseball history worked harder, suffered more, or did it better than Andre Dawson.
He's the best I've ever seen.
The Hawk.
I watched him win an MVP for a last place team in 1987, and it was the most unbelievable thing I've ever seen in baseball.

He did it the right way, the natural way, and he did it in the field and on the bases and in every way, and I hope he will stand up here someday.
We didn't get to a World Series together but we almost got there, Hawk.

ジョージ・ウィルは、「MEN AT WORK(邦題「野球術」)」で、
情熱を傾けて仕事に打ち込む選手として
ドーソンを引き合いに出している。以下引用。

1987年、カブスのアンドレ・ドーソンはMVPに輝いた。
その年のある午後、彼はリグレー・フィールドの
ライトを守っていた。試合は対アストロズ戦。
カブスは11対1と大量のリードを奪っていた。
6回表、ドーソンはファウル・フライを追いかけて、
ラインのすぐ外にある煉瓦の壁に激突した。
7回表、ドーソンは、低い弾道を描いて
ライト前に飛んだライナーに向かって突っ込み、
スライディング・キャッチで捕球した。
得点差を考えれば、ヒットになろうが
痛くもかゆくもない打球だった。
試合後、ドーソンは記者の質問を受けた。
勝敗の帰趨が歴然としているあの状況で
なぜ怪我の危険を冒してまであんなプレーを
したのですか。
「イン・プレーの打球だったからですよ。」
とドーソンはそっけなく答えた。
もしかすると彼は、なぜこんなことを訊かれるのか、
理解に苦しんでいたのかもしれない。
単語や構文こそしっかりしていたものの、
質問者はドーソンのような選手の
メンタリティ(とモラル)を
把握していなかったにちがいない。

怪我を押して常に全力プレーだったドーソン。
来年は、ドーソン(とロン・サント)が
殿堂入りできるといいなあ。


●さて以下は殿堂入りしたカブスの選手。
ゴセージも、1年だけカブスでプレーしたことがある。

1938年殿堂入り グローヴァー・アレキサンダー(カブス在籍1918〜26年)
1939 アルバート・スポルディング(1876〜78)
1939 キャップ・アンソン(1876〜97)
1942 ロジャース・ホーンスビー(1929〜32)
1945 キング・ケリー(1880〜86)
1945 ヒュー・ダフィー(1888〜89)
1945 ロジャー・ブレスナハン(1900、1913〜15)
1946 ジョー・ティンカー(1902〜12、1916)
1946 ルーブ・ワッデル(1901)
1946 フランク・チャンス(1898〜1912)
1946 ジョニー・エヴァース(1902〜13)
1946 クラーク・グリフィス(1893〜1900)
1947 フランキー・フリッシュ(監督1949〜51)
1949 モーデカイ・ブラウン(1904〜12、1916)
1951 ジミー・フォックス(1942〜44)
1953 ディジー・ディーン(1938〜41)
1954 ラビット・マランヴィル(1925)
1955 ガビー・ハートネット(1922〜40)
1957 ジョー・マッカーシー(監督1926〜30)
1963 ジョン・クラークソン(1884〜87)
1964 バーレー・グライムス(1932〜33)
1968 カイカイ・カイラー(1928〜35)
1970 ルー・ブードロー(監督1960)
1973 モンテ・アーヴィン(1956)
1973 ジョージ・ケリー(1930)
1975 ビリー・ハーマン(1931〜41)
1975 ラルフ・カイナー(1953〜54)
1976 ロビン・ロバーツ(1966)
1976 フレッド・リンドストローム(1935)
1977 アーニー・バンクス(1953〜71)
1979 ハック・ウィルソン(1926〜31)
1980 チャック・クライン(1934〜36)
1985 ルー・ブロック(1961〜64)
1985 ホイト・ウィルヘルム(1970)
1987 ビリー・ウィリアムス(1959〜74)
1991 ファーガソン・ジェンキンス(1966〜73、1982〜83)
1991 トニー・ラゼリ(1938)
1994 レオ・ドローチャ(監督1966〜72)
1995 リッチー・アシュバーン(1960〜61)
1995 ウィリアム・ハルバート(オーナー 〜1882)
1999 フランク・セーリー(監督1902〜05)
2004 デニス・エカーズリー(1984〜86)
2005 ライン・サンドバーグ(1982〜94、96〜97)
2006 ブルース・スーター(1976〜80)
2008 リッチ・ゴセージ(1988)

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コメント一覧

1. Posted by 舞之介   January 09, 2008 17:47
ウチの叔母はドーソンが大好きでした。サンドバーグよりも好きだったみたい。

「仮に、黒人全てが悪いことをする人種であったとしても、ドーソン一人がいれば、私は黒人を差別しない」と言っていました。実際に接したことがあるらしいんだけど、とっても紳士な方だったそうです。
人間として、素晴らしい人だったそうですよ。
2. Posted by Satoshi   January 09, 2008 21:31
今晩は舞之介さん。

そうですか〜叔母様
そこまでおっしゃってましたか。
すごいですねさすがドーソン。

いつかまた、ドーソンのような選手が
カブスに来てくれるといいですね。

ともかく今年は惜しかったですね。
来年の殿堂入りに期待しましょう。

ゴセージも悪くはないのですが、
カブスでは活躍できなかったので
なんだかピンとこないんですよねえ。
3. Posted by 舞之介   January 15, 2008 15:19
ドーソンって言えば、現役最期はフロリダにいましたっけね。
で、あれは1996年だったかな?9月にシカゴに行きまして。叔母と二人でシーズンも終わりのリグレーに行き、ピッツバーグとのダブルヘッダーを見て帰宅したら...
テレビをつけたらフロリダの試合を中継していて、それがドーソン最期の試合でした。彼は2塁打を2本打っていて、大活躍。
叔母は「あんなつまんない試合(確かに第一試合はカブは負けちゃってつまらない試合でした。でも第二試合は終盤逆転勝ちでした)を観に行くよりも、テレビでドーソンを見てたら良かった」だって。
4. Posted by Satoshi   January 15, 2008 17:02
そうですねドーソンは確か
96年に引退でした。

叔母様のお気持ちはよくわかります。
大好きだった選手の
現役最後の試合と分かっていたら
そっちを見ますよねえ。
ましてカブス対パイレーツは消化試合・・・

ドーソンは今は確かフロリダのフロントにいる筈です。
コーチとしてカブスに来てくれないかなあ。
若い選手たちに気合いを入れてほしいですし、それに、再びカブスのユニフォームを着るなら
叔母様も喜ばれるはず。

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